The contemporary artist
Wellcome to MAYAKOV world.
Mayakoveijiの方法または覚え書
小学生の頃、複製の画集の中のファンアイクの肖像画を見て不思議で仕方がなかった。単なる二次元の平面に過ぎないのにまるでそこにいるかのようにこちらを見ている。どんなにしげしげ見てもそこに居るかのように。絵の力の凄みを知った。見せることのできることは幻影ではなく、現実としてその時確かに存在している。
目に見えるものは十分に心に影響し、心に大きな傷を残すことがある。12歳の時小学生向けの歴史の雑誌の見開きの1ページが人生の色合いを変えてしまった。私の海馬に黒い雨が降り注いだ瞬間だった。この絵が残酷なのは地獄絵の中に見る者を引きずり込んでしまったことだ。眠れない夜が数年続いた。ものを見るという行為は快楽と悲惨の間にあるものだと思う。
エピソード001
広場の穴。アパート。赤土の広場に体が半分はいるぐらいの穴が開いていた。突き落とされる。一番古い記憶。
人体への興味 解剖学 形態学に興味を持つ/ウォディントン/ダーシー・トムソン『生物の形』/ゲーテの形態学/
形は大きく自然のものと人工のものがある。形の森 迷路
部分から絵を描く
Draw from part LOOP 手output−作品−input眼−脳−手
正のフィードバックを成立させる
ミックスメディアの可能性
マテリアル・粘土/パイプ/チューブ/塩ビ板/布/金属/豆電球/電線/砂/石/植物/釘/針/糸/壜/ガラス/ペットボトル/基板/プラスチック/アクリル/セロテープ/ビニールテープ/ガムテープ/マスキングテープ/アルミホイル/絵の具/パン/新聞/本/顎/枠
自画像⇒心象風景⇒写真⇒コラージュ、オートマティズム⇒パソコン・フォトショップ加工⇒映像アニメーション⇒オブジェ アール・ブリュット⇒インスタレーション⇒パフォーマンス・ドキュメンタリー⇒映像即興
パラメーター絵画
CGから学んだことは、仮に一般的な絵画のすべての効果を一つの数式で表現されると仮定した時にパラメーターの操作だけで多様な様式が生まれてくるということ。言い過ぎにならないようしたとしても、かなり近似的に可能であることは確かだ。
特異点singular pointはブラックホール、打ち出の小槌 穴から何かが飛び出してくる。極めて非論理的ななんでも可能な状況 トリックスターが登場する。
象徴的な階段の昇り方−ジェイコブス・ラダー
登った先にドアは開かない。
初めて読んだ本のこと。
寝ながら考える
半覚醒で考える
枕元にメモを置く−
夢を記録する
エピソード034 叔父さんに貰ったピストル。戦争が見える。
エピソード050 飼っていた亀がいなくなった。
エピソード035 夢の中で空を飛ぶ。手を漕げば上へ上がる。飛ぶことはそんなに難しくない。
お寺の屋根の下———椎茸の傘の裏−−−スカートの下
意識する自分の前に論理的に喋っている自分がいる。 意識の前にあるもの
かきわりの世界 厚みのないレイヤー。騙し絵的な世界に対する不安感。自己中心的に作られた偽りの世界。
リズムの結果として形を捉える
オートマティックなペインティング−下書き無しで描く
何処で切れば良いか判らない境界不鮮明で,分類不能なものをそのまま保留にする。
絵にふさわしい動き、動きと形態が分離しないこと、逆に分離したらどうなるか。
Ex.かくかくした動きには、滑らかな動きには、アメーバの様な動き、クルクル廻る動き 突然パッと消える。あるいはフェードアウト 回転の持つ意味 向こうからやってくるもの 2次元と3次元の間にある世界ーー無限の可能性 急に止まるもの
時間軸に沿って変化する全ての空間はアニメーションと言える。
驚き板の発想。動いていないのに動かすことができる
歴史、戦争、核、独裁者≒劇場性
内なる独裁者、自己主張、短絡性、劇場性、ナルシシズム、パッション、表現主義、存在不安ーーーアートとの近縁性
自身の手をつけてきたことを無駄がないようにつなぎとめる方法ー効率的で経済的な方法
迷路的−袋小路 鏡の間の反射とめまい トラウマ的な世界が捕捉する出口無しの迷路的鏡の間 テリトリー 種まき、浮き島、埋め立て地、小高い丘、いずれ大きな山が出来る、行き着く処はBABELの塔。 BABELの塔を作る構想 螺旋状骨格を作る 右回りか左回りか 下から順番に肉付け 高さ−上の方は暗い 自重で崩れる 計画的に作るタイプの場合−設計図が必要 場当たり的に作るタイプの場合−強いワイヤーが必要 壊れることを前提にした建造物。壊れることは悲しいが、壊れるように作る。壊れることを悲哀を持ってしかもシニカルに戯れる。 無数の粘土片を針金に巻き付けて行くと次第に自重で崩れて行く。一部は付着が不完全であるため転がり落ちてしまうが概ねしっかりと付着した。これら一塊が蛆虫か寄生虫の類い、芋の芽のように発芽する虫がいた。あるいは無数の死骸。押さえると凹む。どんどん押さえると陥没して穴が開く。穴の縁が尖って来る。こちらの穴と向こうの穴が繋がって貫通し細い橋状の梁が出来る。そのような小柱が無数に出現して、終いには糸状の塊になる。グニャリとその領域を延ばしたり縮めたり内面が外界に反転したり自己の固有性を失いながら、形を様々に組み替えて行く。 時間を逆転させるとワイヤーに沿って それらの粘土片が宙へ舞い上がって行く。この時ワイヤーが誘導するものはどこなのか。巻き上げられた上昇気流の先は天上か。
ホラーアート
ホラーはアートになりうるか ジェットコースターの様な興奮感 交感神経の刺激 エンターテイメント(娯楽) 交感神経の過剰な刺激—消化器症状が生じて気分が悪くなる。記憶の海馬での反復=加重現象,悪夢を見る、ひいてはトラウマ、PTSDを誘発する。人を不幸にするものは果してアートといえるか。
顔細胞−−−−既に仕組まれた形への感受性。顔を認識出来るものだけが淘汰されず生き残ったのか。学習ではなく生得的なものか。ということは生まれついて具体的な認識をしていたと云うことになる。本質的に抽象的なものというわけではないと。シンボルの重要性 表現は単に抽象的なものではないのではないか。シンボルには遊び、ゆるみがある。決定的で明示的なものではない。
下部構造とは無意識の底に沈んだ無数の外部の情報、幾多の経験。自分の内部に格納された記憶はほぼ外部からの情報が投影したもの。外部で作られた私。私と云うシステムを通過することによって下部構造の影響を受ける形で表出される世界が作品か。
図形アルファベット
『荒騒ぐ無限』の中でアンリ・ミショーがメスカリン服用時に馬の体のパーツが合体したりバラバラになる幻覚体験を語っているが、視覚情報処理が終脳のM1,M2あたりではいろいろな形のパーツに反応する細胞が出現してくると関係している。いろんなものがヒューンと飛んできて顔を作る、手ができる、足ができる。この感じ。
科学を使って詩を作る。
考えたこと、読んだ本、学んだことのキーワードをメモして収集箱に放り込んで行く。決してバラバラなものではなくて必ず系統だったものになり自分の思想が出来上がっていく。それによって自分のアート活動と生活が一体化していく。
快と不快は同じカテゴリーの感覚ではないのかもしれない。敢えて不快なものを選んだ場合根拠が必要になるかもしれない。快と不快を平等に扱ったとしたらあやまりかもしれない。
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